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ピリオド

/「いつかの林檎の木の下で」あとがき


 最近、詩の指南書を購入した。本棚の壮観によく苦笑していたところだったが、買ってしまったのだから仕方ない。この本が、きっと自分に新たな道筋を与えることを信じている。であるから、このタイミングで「いつかの林檎の木の下で」が完結したのは、なんとも丁度良いことだ。

 2012年、この年は躍動的な年だった。周囲に大きな変化の訪れる年であった。たとえばツイッターや「小説家になろう」でつながりのある方が、4人も文学賞で受賞した(うち2人は既に本を出し、晴れてプロデビューだ)。たとえば今の創作スタイルを確立するにおいて多大にお世話になった空想科学祭が、この年で終幕を遂げた。たとえばあのハヤカワSFコンテストが、新しくなって再開されることが発表された。たとえば自分が作品を公開するということを覚えたサイト、フリーゲーム「テンミリオン」が、この年で10周年を迎えた。
 周りの変化というものは、必然的に自分に影響をもたらす。未だ実力不足であることは承知しているが、この年から公募活動に積極的に動いた。1次選考通過を初めて体験したのもこの年だ。

 周り、とはいえど、自分も他者にとっては周りなのであり、影響を与えているのである。そのことを心から実感し始めたのも、この2012年だったように思う。ただひとりでいい、拙作がその人の“わたし”に影響するというのは、なんと光栄なことであり、感動するものではないだろうか。
 テクストはこうして繋がってゆく。一本の大きな木。そのもとに、日々訪れる「何か」。

 全9+1章、330編からなる「いつかの林檎の木の下で」は、もともと「第1編 u17's poems」で終えるつもりだった。過去に書いた詩のようなものや、ふと書きとめた文、そういうものを脈略もなく並べ立てて終えるはずだった。ところが、これを書き上げた折、“詩とはなにか”という難しい問題につきあたった。これを早急に解決する必要があると、当時の自分は考え、続けてしまうことになったのだ。
 書き続ければいつか見えてくる、それが自分の盲信している論だ。これは小説にもいえることで、自分は、“小説とはなにか”という問題の答えは、100作も200作も書いてようやくおぼろげに浮かんでくるものだと思っている。
 結局、ピリオドを打った現時点でも、“詩とはなにか”分からない。しかしこの詩集が、その役目をまっとうしなかったわけではない。

「いつかの林檎の木の下で」の1作目は、「ピリオドのあとにまた文が続くように」という題名を持つ。後付けになるが、まさしくこの題名の示している通り、この詩集は膨大な文章のある一文、一部分なのだ。あとにまた、次の文が続く。
 テクストは“わたし”という垣根を越えて繋がってゆく。一本の大きな木。
 その先に見える。
 新たな一文の誕生を、ここに祈る。



 少し気が早いですが、2013年もよろしくお願いします。
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小伏史央(こぶせふみお)

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