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キャラクター造形について

いい加減この連載も定期的にやっていきたいな、と思わなくもないけれど、たぶん無理です。こうして気の向いたときに、そのうえで時間がちょうどありそうなときに、ちまちま続けていけたら御の字なんだろうなぁ。
 現時点での構想では、ここで連載している草稿がある程度たまれば、埃城のほうで体裁のととのえたやつを連載して、それが完結したあとに、決定版のを小説家になろうかどこかに投稿しようと考えているが……何年後になることやら。

 なにはともあれ、今回はオーソドックスに「キャラクター造形」について。

 小説にはキャラクターが登場する。もちろん、近代小説やらで「文」と呼ばれる描写だけを抜き出したようなジャンルや、概念や現象だけを切り取ったような、登場人物ゼロの小説も存在する。小説じゃないけど、第10回アカデミー賞を受賞した短編アニメ『風車小屋のシンフォニー』(原題:”The Old Mill”)なんかは、登場人物とか登場動物とかいうものは存在せず、ただ自然のありかたひとつを「景色」として描き出している作品のように思う。この辺の話はまたいずれ書くとして、さてキャラクター造形の話。

 キャラクターってどうやって作ればいいのだろう?
 どうやれば人間を書くことができるのだろう?
 そう考えながらプロットを立てていく。人それぞれ、作り方は多種多様にある。そのなかで個人的に、好んで使っている作り方もあれば、苦手としている作り方もある。今回はそれを紹介する。

 まず、苦手としている作り方がある。それはプロフィールを書くことだ。
 漫画のファンブックとかによく書かれているあれ。アニメの公式サイトを覗いてみるとキャラクター紹介のところによく書かれているあれ。このキャラクターはこれこれの性格をしていて、家族構成はこれこれで、血液型はAB、身長なになに、体重ひみつ、あんどもあ。プロットの段階でこれを書くのは、非常に、苦手だ。
 一度、プロットを突き詰めて書き込んだことがある。そのプロットでは、主要キャラクター一人につき、以上のようなことがノート見開き2ページにわたって書き込まれていた。作品を書き始める前から、主人公は面倒臭がりで、ヒロインはガサツでありながら細かいことによく気が付く性格で……とプロフィールを羅列していた。
 しかしどうにも、なぜ文章を書き始める前からこのキャラクターはこういう性格、と決定付けなければならないのだろう。当のキャラクターは、まだ登場さえもできていないのに。
「性格」というものは、難儀なもので、その対象を見る者によって、見る時期やタイミングによって、評価はだいぶ変わってくる。たとえば勉強のできる中学生がいたとして、その子は学校の教師からはまじめと評されるも、よくつるむ同級生たちからは、まったく異なる性格に見られているかもしれない、基本的にそういう生徒は教師にたいしてはまじめな態度をとるものだから。そしてまた、あまりつるまない同級生からは、がり勉などと評されるかもしれない。「まじめ」と「がり勉」は、そのクラスにおいて等しく勉強ができることを指す性格であっても、印象はまったく異なる。プロットにその中学生(別に高校生でもいいんだけど)を「まじめ」と書くだけでは、その一面性しか見えていないことになり、もったいない。だから「がり勉」と書き加える。それでも見えてくるのは一面性を明かりのある場所ない場所それぞれで見ているだけに過ぎない。今度は、よくつるむ同級生たちの見ているその子の性格をプロットに書き込まなければその新しい一面は見えてこない。そして今度は家族から見た性格、家族のなかでも母親の見ているものと、父親の見ているものでもだいぶ異なるかもしれない。そして困ったことにその「性格」というものは、中学生が背を伸ばすと同時にいちいち変わってゆくものなのだ。それらすべてをプロフィールに書いていれば、とてもではないが見開き2ページなんかでは足りなくなる。そして実際のところ「すべて」を書くことはできないのだ。
 ……長くなったが、要するに、「性格」は決して要約して書くことのできる代物ではなく、プロットに「性格」を書き込んだとしても、それはほんの一部を書いているにすぎないのだ。要約して書けないからこそ小説を書くのであって、プロットで完成できてしまえるのなら、小説を書く必要はない。また、それらの無理やりな「要約」は、キャラクターの可能性を閉じ込めることにもなりかねない。それが狙いなのであればともかく、プロットの段階からキャラクター造形を(特に性格)を決定してしまうのは、登場人物をはりぼてにしてしまう行為に思えるのだ。
 というのは、まあ個人的にいろいろと失敗して感じたことで、合う人がやればうまくいくと思いますです。すみません。

 で、ここからがおすすめの方法。

方法1「ちょっとだけ本文を書いてからプロットを作る、キャラクター造形を決める」
 さきほど、登場人物が登場するより先に「性格」ができているのはおかしい、といったようなことを書いた(気がする)が、だったらまずは登場させてから、その対象物を「見て」、作者という「人間(≒登場人物)」として、性格付けをする。つまり先ほどの例の中学生をひとまず作り、それに対して、教師や同級生と同じように、その中学生を「評する」ということだ。さきほどとの大きな違いは、作者は「性格」を作っているのではなく、「登場人物」を作っていることにある。「性格」は作者が作らずとも、「登場人物」に付随してやってくるものであり、またそのほうが自然な性格が生まれてくるのだ。
 で、そのレベルアップ版みたいな方法が、
 方法1-2「その登場人物が主人公の短編を書く」
 というものだ。これは時間的に厳しいことが多いので、自分もあまりやらないが、一個の完成した作品があれば、その主人公なんて、そりゃあもう対象物としては最適だろう。なんせ完成しているのだから。作者はその主人公を「見て」、ああ、こいつはこういうやつなんだ、と納得すればいい。

方法2「もう最初っからキャラクターを作ることをあきらめる」
 はいあきらめた! いつもの悪い癖すぐあきらめる! もう寝る!……しかし、あきらめることもまた、方法なのである。
 キャラクターは突き詰めればただ行動することができればなんでもいい。もう行動もいらないかもしれない。というかキャラクターってなんだ? なにをすればキャラクターなのだ?
 キャラクターが描けないのならばストーリーで魅せればいい。キャラクターなんて難しいことは考えていないで登場人物はすべて番号でもふっておけば行動くらいはできるだろう。
 なによりもストーリーを優先し、「この展開にするためには02番にこう考えさせる必要があるな」「この展開にするためにはここで01番に悲しませておけばいいな」と、ストーリー展開から逆算して登場人物の行動・思考を合理的に積み上げていく。
 そもそもキャラクター造形なんてものは、ストーリーの展開すべてのなかで、登場人物に一貫性を持たせる(矛盾を生じさせない)ためにあるようなものでもあって、もうあきらめちまえばどうにかなるよ。これまじで。

方法3「現実の人間を下敷きにする」
 ※禁じ手。
 ほどほどに……。訴えられない程度に……。つーかばれない程度に。


 あと1つ2つあったはずなんですが、書いているうちに忘れてしまいました。備忘録としてもこういう創作論みたいなもの、やっぱり書いておくべきなんでしょうね。どうせまたひょっこりと思い出すと思いますので、そのときにでも、時間と気力があえば、草稿を載せていく予定です。

 あとキャラクターつながりでもうひとつ余談。
 女を書く、とか、男を書く、というのは、個人的にあまり考えないようにしています。自分は自分とまったく同じ男を、自分のほかに見たことはありませんし。数年間ぼくっ娘ばかり書いてきて思ったことなんですが、女を書くとか、男を書くとか、そんなことしても結局おんなじ人なんていないんですから、ひとりの「人間」を書けばいいじゃない、と思うんです。上記の文章に照らして言うなら、「女を書く」「男を書く」という意識の時点で、登場人物の可能性を閉じ込めてしまっている。アニムスとかアニマとかいろいろありますからねぇ、そういう多様性のあるキャラクターを、書いていきたいもんです。

 ではまた。気の向いたときに。
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小伏史央(こぶせふみお)

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