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「独特」を意図的に作るには

さっそくだが、「独特な文章」というものには2種類がある。ホンモノか、ニセモノかの2種類だ。

(作品を読んでいると、その作品がどのカテゴリにあるかは関係なく、「独特」だと感じることがある。その“感じ”、抽象的なその感じを、ここでは「独特」という言葉の意味だとしよう)

 ホンモノの「独特」は、他の作品群と比べることはできない。
 比較、という枠組みからはずれ、ときにジャンルからもはずれ、
 説明や解説が野暮以外のなにものでもなくなるもの、それがホンモノの独特だ。

 では、ニセモノの独特とは。
 “――独特は作れる。”
 他の作品群と比べたうえで、“数値的に”逸脱すれば、それは「独特」になりえるのだ。

「文体診断ロゴーン」*1の参考テキスト64作品*2統計によると、文体の平均値は以下のようになるという。
  • 平均文長:52.20文字
  • 平均句読点間隔:17.53文字
  • 特殊語出現率:11.60%
  • 名詞出現率:28.66%
  • 動詞出現率:9.75%
  • 助詞出現率:29.48%
  • 助動詞出現率:12.08%
  • ひらがな出現率:54.03%
  • カタカナ出現率:0.81%
  • 異なり形態素比率*3:23.24%
 あくまでこれはひとつの参考に過ぎないが、この平均値をふまえたうえで、意図的に平均値を逸脱した文章を書けば、それは「独特な文体」になる。
 拙作を引き合いにすれば、オノマトペの比率を大きく高めたり、一文をとにかく長くしたり、改行の頻度を極度に高めたり低めたり、……などがある。

(文体だけでなく、題材やストーリーでも「独特」は作ることのできるものだが、その話はまたいつか)

 であるから、「独特」を意図的に作りたいのであれば、その他の「独特でない」平均値を知る必要がある。インプットはその役割も担っているのだ。
 本をさほど読まずとも小説らしきものを書くことはできる。その他の映画や漫画や音楽など、そして実際の経験からインプットしたものを下敷きにすれば、本だけを下敷きにしたよりもずっと良質な小説が生まれるからだ。しかし、「文体」の意味においては、本をインプットするのはとても大切なことだ。

(ところで、これは同時に「小説を書きたければ本は読むべきではない」という言葉の裏づけともなるかもしれない。最初から平均値を知らなければ、平均に踊らされる心配もなく、純粋にはじめからあった自分の文体を紡ぎだすことができるかもしれないからだ――まあ、それは要するに、自分がはじめから有しているもの、つまり才能に頼る形になるので、あまりおすすめできない)
 
 なお、ジャーナリストであり作家である穂高健一は、エッセイにて「句点(。)は平均して45文字ていど」「読点(、)は平均的に15字前後」の間隔で入れるのが最も読みやすいと述べられながら、文章にも老齢化――つまり年齢層による傾向があることに言及されている。いわく年配者ほど句読点が少なくなる傾向があるのだそうだ*4。平均をはかり独特の境界線を見極める上では、自身の作品を読む人の年齢層も意識する必要があるらしい。

 ホンモノの独特を修得するには、とてつもない努力と経験が必要になるだろうが、ニセモノの独特(しかし本質的にはホンモノの独特の同等のものだ)はわざと「みんなとちがうこと」をすればいいのであるから、「みんな」がなにか見えている分、やりやすい。
 しかしともすればそれは、単なる「読みにくい」文章だ。「独特」という言葉がときに苦笑いのお世辞として使われる言葉であることを鑑みれば、「独特」と「受け入れにくい」ことは背中合わせではあるのだろうが、この問題を解決しない限り、たとえそれが少しの労力で効率的に作り上げることのできた独特であったとしても、効用は薄いかもしれない。
 独特は作れる。では、作ったとして、その先にあるものはなんだろう?

 今日はここまで。ではでは。



*1:http://logoon.org/
*2:芥川龍之介「杜子春」、太宰治「桜桃」、宮沢賢治「風の又三郎」、夏目漱石「それから」、海野十三「東京要塞」、岩波茂雄「読書子に寄す」、菊池寛「恩讐の彼方に」、九鬼周造「「いき」の構造」、幸田露伴「蒲生氏郷」、坂口安吾「堕落論」、三木清「語られざる哲学」、寺田寅彦「漫画と科学」、小林多喜二「蟹工船」、新美南吉「ごん狐」、森鴎外「ヰタ・セクスアリス」、西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」、石原莞爾「最終戦争論・戦争史大観」、石川啄木「病院の窓」、中原中也「我が生活」、中島敦「山月記」、直木三十五「巌流島」、島崎藤村「破戒」、徳冨蘆花「謀叛論(草稿)」、福沢諭吉「学問のすすめ」、北原白秋「白帝城」、北村透谷「厭世詩家と女性」、末弘厳太郎「嘘の効用」、有島武郎「或る女」、浅田次郎「スターダスト・レビュー」、井上靖「道」、遠藤周作「白い人」、阿川弘之「年年歳歳」、阿刀田高「靴の行方」、井上ひさし「あくる朝の蝉」、岡倉天心「美術上の急務」、紀田順一郎「南方熊楠」、吉川英治「べんがら炬燵」、江戸川乱歩「押絵と旅する男」、佐高信「遺言と弔辞」、三田誠広「碧眼」、三島由紀夫「女方」、志賀直哉「邦子」、小田実「玉砕」、松たか子「松のひとりごと」、松本幸四郎「役者幸四郎の俳優俳談」、川端康成「片腕」、大宅壮一「「無思想人」宣言」、谷崎潤一郎「京羽二重」、猪瀬直樹「『黒い雨』と井伏鱒二の深層」、田中美知太郎「古典教育雑感」、梅原猛「闇のパトス 不安と絶望」、野間清治「『キング』創刊前後」、和辻哲郎「偶像崇拝の心理」、吉田茂「第18回国会所信表明演説」、岸信介「第26回国会所信表明演説」、池田勇人「第37回国会所信表明演説」、佐藤栄作「第47回国会所信表明演説」、田中角栄「第70回国会所信表明演説」、中曽根康弘「第97回国会所信表明演説」、橋本龍太郎「第139回国会所信表明演説」、小泉純一郎「第151回国会所信表明演説」、麻生太郎「第170回国会所信表明演説」、団藤重光「反対意見」(最大判昭和56年12月16日民集35巻10号1369頁)、伊藤正己「反対意見」(最大判昭和63年6月1日民集42巻5号277頁)の64テキスト。テクスト数はさほど多くなく、近代寄りの作品郡であるため、“現代”の平均値と捉えることができない点を考慮されたい。
*3:文章中で一度しか出ていない形態素の割合
*4:「第46回・元気100エッセイ教室=文章の若返り」、穂高健一ワールド、http://www.hodaka-kenich.com/Novelist/2011/02/04014115.php、2013年11月9日閲覧
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小伏史央(こぶせふみお)

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